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2026.02.24
大規模プロジェクトで得たリアルな知見と、未来へつながるレガシーとは~大阪・関西万博の舞台裏 vol.1~
約2,558万人が訪れた大阪・関西万博。その舞台裏で、JCDは7年・2,449日にわたり、制度設計から現場運営まで複数の中核領域を支えてきました。
構想を事業へ、そして現場へ――6人のメンバーの視点から、万博で培われた知見と次へ引き継がれるレガシーに迫ります。

一般来場者数約2,558万人を記録し、成功裡に閉幕した2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)。その舞台裏では、制度設計、システム構築、人材運営、現場対応といった膨大な業務が、会期の前後を含め長期間にわたり動き続けていました。
JTBコミュニケーションデザイン(JCD)は、2018年の開催決定以降、足かけ7年・2,449日にわたり、入場インフラ、ボランティア運営、催事・空間づくりなど、万博を支える複数の中核領域に携わってきました。
本記事では、構想段階から事業化、そして現場運営へと至るプロセスを、プロジェクトの中核を担った6人のメンバーの視点から振り返ります。
万博という大規模プロジェクトを通じて、JCDは何を設計し、何を動かし、どのような知見とレガシーを次へと引き継いだのか――その内実に迫ります。
- JCDは大阪・関西万博で何を担ったか?構想を具体事業へとつなげた「先行営業」
- 万博を支えた3つの中核プロジェクト――制度・人・場を動かす現場のリアルに迫る
- 困難を乗り越え、JCDが手にした「現場の知恵」と「未来へのレガシー」
- そして次なる挑戦へ。大阪・関西万博がJCDに残したもの
1 JCDは大阪・関西万博で何を担ったか?構想を具体事業へとつなげた「先行営業」
プロジェクトは数名のメンバーによる検討と情報収集から、静かに動き始めました。
プロジェクトの黎明期から先行営業を牽引。手探りの状況下から、具体的で巨大な事業群へと発展するシナリオを築き上げた中心メンバー。
担当:上埜 洋平
―大阪・関西万博開催確定の報を受け、JCDではどのような動きから始まったのでしょうか。
上埜
当時、万博の開催は決定されたものの、まだ構想段階で、JCDとしても「どの領域で、どんな価値を発揮できるのか」を探っている時期でした。
最初に取り組んだのは、過去の万博、特に愛知万博の際に、JTBグループが当時何を手掛けていたのか、また当時取り組んでいないことで、今なら取り組めることは何なのかを探るため、まず過去の情報を仲間と一緒に集めました。JTBグループのネットワークも活用しながら、万博関係者との対話を重ねました。その中で、「JCDならどこに貢献できるのか」を見極める、いわば価値探索のフェーズでした。
―そんな状況下で、突破⼝となった「転機」はどこにあったのですか。
上埜
2005年の愛知万博で入場券販売管理のセンター長を務められていたOBとお話しできたことが、大きな転機でした。「当時の経験から、入場券には様々な可能性がある」という言葉をきっかけに、視点が切り替わりました。
入場券を単なる入場時に改札を通る手段としてだけではなく、来場者データの起点として捉えることで人の流れはもちろん、来場者のプロフィールやニーズを可視化し、運営全体を設計できる。結果、来場者がスムーズに万博を楽しめることで、満足度を高めることができる。「入場券を起点に万博全体を考える」という整理が、その後のプロジェクトの構想軸になりました。
―その構想を、どのように実際の「実現」へと繋げたのでしょうか。
上埜
2020年2月、博覧会協会幹部向けのICT勉強会に参加し、「チケッティングと人流~観光ICTによる顧客快適性の向上~」というテーマで構想を提示しました。入場券を単なる販売・改札の仕組みとしてではなく、人の流れと体験設計の起点として位置づける提案です。
その後、公募された「2025年日本国際博覧会入場券販売制度基礎調査業務」に、三菱総合研究所様とともに応札し、受託することができました。
私たちが重視したのは、制度設計の最上流から関与することでした。入場券制度と会場運営計画を分断させず、来場者が万博を楽しめる全体最適の構造を描く。その前提を設計段階で組み込まなければ、本質的な価値創出にはつながらないと考えたからです。
入場券は単体の仕組みではありません。来場者データ、人流制御、パビリオン予約、さらには会場内外の施策へと連鎖する基盤です。この起点を設計できれば、周辺施策にも波及し、万博全体の成功確率を高められる――いわば"シャワー効果"を生み出せると捉えていました。
制度設計という上流に立てたことが、その後の入場インフラ構築だけでなく、ボランティア運営や会場外での催事といった他領域との接続にも広がっていきました。結果として、大阪・関西万博が目指した「スムーズで快適な体験設計」の実現に、様々な分野で貢献させて頂くことができたと思います。

―そしてその約2年後、「2025年日本国際博覧会入場券販売関連システムサービス提供業務」の企画提案を迎えるわけですね。
上埜
はい。2022年3月のこの提案が最大の山場でした。調査業務で蓄積した知見をもとに、「来場者がどう動き、現場で何が起きるか」という運営のリアルに基づいた提案ができたことが、大きかったと思います。この「調査から実装へ」という2年越しの流れが結実し入場券販売関連システムサービスの提供という万博運営の中核を任せていただくことになりました。
2 万博を支えた3つの中核プロジェクト――制度・人・場を動かす現場のリアルに迫る
今回は3つのプロジェクトに焦点を当て、それぞれの現場で何が起き、どのような判断と積み重ねが万博を支えていたのかを、担当者たちの言葉とともにお伝えします。
【入場インフラ】 2,500万以上のチケットデータとパビリオン予約を統合制御する「入場券販売関連システム」のプロデュースに参画。これは単なる販売システムに留まらず、来場者の流れを制御し、会場運営を成立させる基盤インフラとして機能しました。
担当責任者:那須 由直
【ボランティア運営】 約3万人規模のボランティア事業を統括しました。募集から研修、会期中には1日最大1,183活動に及ぶシフト管理まで一貫して担い、長期間にわたる安定運営を実現。動機や経験の異なるボランティア一人ひとりの想いを受け止め、笑顔で万博に参加できる環境を生み出しました。
担当責任者:内堀 博文・ 佐々木 秀徳
【催事・空間プロデュース】 万博の賑わいを生み出す催事や空間づくりに深く関与しました。35日間にわたり、大阪府内市町村とともに400を超えるプログラムを実施し、延べ約56万人が来場した「大阪ウィーク」をはじめ、御堂筋でのサテライト企画、ナショナルデーホールの催事施設運営など、多様なプロジェクトを推進。行政・地域・企業・来場者をつなぎ、空間をメディアと捉えることで、万博の価値を体験できる「場」のプロデュースをしました。
担当責任者:村岡 良一・杉田 大輔
担当したプロジェクトの概要と、特に苦労された点は?
那須
私が担当した入場券システムは、単なるチケット販売ではなく、万博全体の人の流れを制御するインフラでした。苦労した点は大きく3つ。販売当初の売れ行き低迷、セキュリティ優先のシステムへの世論の厳しい声、そして会期終盤の大規模アクセス集中です。特にアクセス集中時は、システム停止が万博全体に与える影響を考えると、胃がキリキリしましたね。
内堀
私たちボランティアチームは、会場内外で活動する約3万人ものボランティアをサポートする役割でした。私は「大阪まちボランティア」の現場運営を、佐々木さんは本部として全体調整を担当しました。最も難しかったのは、大阪府・大阪市の「大阪まちボランティア」と博覧会協会の「会場ボランティア」の2つの活動がある中で、ボランティアの皆さんの様々な想いをどうくみ取り、なるべく実現できるか、という点です。万博の運営サイドだけでなく、駅や空港を管理する交通事業者など、様々なステークホルダーと調整しながら、日々改善を続けました。
佐々木
内堀さんの言う通り、二つの主体を横断し、現場が分断されないよう、一つの運営として機能させることが重要でした。加えて、約3万人という大人数が関わる中で、安全管理も大きな課題でしたね。猛暑の中での活動もあり、幸い重大事故は起きませんでしたが、事前の想定と現場での対応の積み重ねが重要でした。
村岡私は「大阪ウィーク」という、大阪府内市町村が参加する催事の統括責任者でした。自治体ごとに異なる考え方やこだわりを、一つの枠組みにまとめる調整が大変でしたね。春の催事では大阪の祭文化を象徴する「だんじり」「やぐら」「太鼓台」など約40台が一同に集結したのですが、地域の伝統文化を担う方々の強い想いを尊重しつつ、イベントとして成立させるために、さまざまな計画を検証し、調整を重ね、実現につなげました。
杉田
私は「御堂筋サテライト」を担当しました。大阪のメインストリートである御堂筋を舞台に、イベントや実証実験を行うという、公共空間活用の新たな挑戦でした。最も苦労したのは、所轄警察署との道路使用協議です。御堂筋の交通規制の中で詳細な動線図と安全計画を提示し、粘り強く交渉することで、これまでには無かった「特例許可」の取得に至りました。これは「公共空間の制約を突破する合意形成技術」だと感じています。
3 困難を乗り越え、JCDが手にした「現場の知恵」と「未来へのレガシー」
それぞれ困難に直面しながらも、粘り強く解決策を見出し、万博を成功に導きました。プロジェクトを完遂された今、特に印象に残っていること、そしてこの知見はどう活かしていきますか?
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那須
致命的な障害なく目標入場者数を達成し、博覧会協会の方から「ありがとう」と声をかけていただいた時は、心から安堵しました。そして、紆余曲折ありましたが、「やるべきことをやり切れば、評価は後からついてくる」という実感を強く持ちましたね。2,500万件以上の入場データと1億行規模のログを扱った実績は、データに基づいた合意形成の重要性を改めて教えてくれました。この経験は、すでに2027年の横浜(GREEN×EXPO 2027)に向けた準備にも引き継がれています。
内堀
現場で特に印象に残ったのは、1970年の大阪万博を経験しているシニア層の方々の参加です。「あの万博を支えた経験があるからこそ、今回も関わりたい」という声を聞き、過去の体験が人を動かす大きな力になることを実感しました。単なる人員配置ではなく、人の想いや参加意欲を前提にした運営のあり方は、今後の公共分野や社会的なプロジェクトにも応用できると考えています。
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佐々木
やはり大きな事故なく最後まで運営できたことが一番です。多くの人が関わる中で、JCDとして役割を果たし切れたことは大きかったと思います。万博のボランティア運営のように、異なる立場や世代が関わるプロジェクトでは、前提や価値観の違いをどう調整するかが重要になります。JCDが関わった大規模スポーツイベントや観光領域におけるボランティア運営とは、参加者の前提や価値観が全く異なりました。どのような仕事でもそうだと思いますが、「XX事業だから」という一面的な思い込みを捨て、「全ての仕事がオーダーメイドである」という意識を持つ重要性を実感しました。
村岡
夏の盆踊りで最多人数・最多国籍数の世界記録を達成できたことも成果ですが、それ以上に、多くの関係者が関わる中で意見をすり合わせながら形にしていくプロセスを経験できたことが、今後の地域連携や大規模案件に活かせると感じています。調整力と関係者との信頼関係構築の重要性を再認識しました。
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杉田
御堂筋のプロジェクトは、2037年の御堂筋100周年を見据えた「道路の高質化・歩行者空間化」という長期ビジョンの実装に直結する経験でした。自分の足で歩き、自分の目で見て、本質を掴むことの重要性を痛感しました。そして、机上の空論ではなく、現場に根差したアプローチこそが成功の鍵だと確信しています。難易度の高い公共空間を、人が集まり、価値を生む「場」へと変えていく知見を、今後、全国の都市開発事業へ展開していきたいです。
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異なる領域での挑戦は、それぞれの現場で積み重ねられた判断と工夫の結晶でした。大阪・関西万博という大規模プロジェクトの中で磨かれたその力は、これからどのように受け継がれていくのでしょうか。
4 そして次なる挑戦へ。大阪・関西万博がJCDに残したもの
―最後に上埜さんから大阪・関西万博での経験を踏まえ、JCDは次にどんな領域で価値を発揮していくのかについて、メッセージをお願いします。
上埜
手探りの状態から始まった大阪・関西万博のプロジェクトでしたが、閉幕の夜、2005年の愛知万博を経験した先輩方が、当時共有してくれていた言葉の重みを、ようやく実感として理解できた気がしました。
先輩方は、成功談だけでなく、迷い、失敗し、苦労した過程も含めて、現場で何が起き、どう判断してきたのかを包み隠さず伝えてくれました。その先輩たち自身も、さらに前の世代から受け取った経験を次へと渡してきたのだと思います。そうした経験の受け渡し、いわば「恩送り」があったからこそ、今回の万博をここまでやり切ることができました。
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万博はゴールではなく、次へ進むための通過点です。今回のプロジェクトを通じてJCDが手にした真のレガシーは、データやシステムといった形ある成果だけではありません。困難な局面で「社内を見渡せば、必ず助けてくれる仲間がいる」と信じ合えたこと。 そして、先人から受け継ぎ、現場で磨き上げてきた着実な経験と実績。その「信頼の連鎖」こそが最大の財産ではないかと考えています。
この恩のバトンは、すでに次の世代へと手渡され始めています。万博で培った、デジタルとアナログを行き来しながら構想と現場をつなぐ力、人を束ねる現場力は、全国各地の地域創生や官民連携プロジェクト、そしてまだ見ぬ新しいカタチの共創へと広がっていくはずです。
大阪・関西万博で培った経験と知見、そして企業文化というバトンを次へとつなぎながら、JCDはこれからも挑戦を重ねて参ります。
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記事では、大阪・関西万博という大規模プロジェクトを通じて、JCDがどのように制度を設計し、人を束ね、場をつくり上げてきたのかを振り返ってきました。
入場インフラ、ボランティア運営、催事・空間プロデュース――それぞれは異なる専門性を要する領域ですが、そのすべてに共通していたのは、「構想と現場を分断しない」という一貫した姿勢でした。
大阪・関西万博はゴールではありません。むしろ、長年培ってきた知見と現場力を総動員し、その有効性を社会実装のかたちで証明した"通過点"だったといえるでしょう。
次号(VOL.2)では、大阪・関西万博で培われた経験が、次にどのような価値を生み出していくのか――その現在地を、あらためて掘り下げていく予定です。












